『わが身の人となりて 往生を願い念仏することは ひとえにわが父母の養いたてたればこそあれ』
これは、法然上人が父母の恩について述べられた御法語です。
お念仏を申す信仰の道に入れたことは、すべて両親からいただいたご恩であるとの感謝が込められています。

京都市東山区にある浄土宗総本山知恩院では、毎年4月18日から25日まで、法然上人のご遺徳を偲ぶ「御忌大会」が営まれます。
私は平成28年4月、大阪教区の寺院を代表して御忌大会に出座する「唱讃導師」のお役を拝命し、たくさんの方々のおかげによってお勤めさせていただくことができました。
そして、この法要を無事に勤められたのは、その49年前に唱讃導師を勤めた師僧の姿を間近で拝んでいたからだと思います。

それは、私がまだ中学生の時のことです。師匠である父親が御影堂の高座に上がり、焼香した時の香煙が、私の目には紫雲たなびく奇瑞のように拝めたのです。
生まれて初めて、お念仏の感動で胸がいっぱいになる瞬間でした。
それから半世紀が経ち、今度はその時の感動を檀信徒の皆さまに「おてつぎ」したいと願い、精一杯勤めさせていただきました。

『親が拝めば 子も拝む 拝む姿の美しさ』との句があります。
親から子へ、子から孫へ、大切な教えは、見せる姿によって導き育まれていきます。
私にとっては、若い頃の御忌大会が僧侶としての道を歩む大きなきっかけになりました。

私が檀信徒さんのお宅にお参りさせていただいた、ある日のこと。
なんと、ご家庭のお仏壇に、小学生の娘さんの通信簿がお供えされていたのです。
「お母さんが供えたのですか?」と尋ねますと、「娘がご先祖さまや阿弥陀さまに見ていただきたいと、自発的に行ったことです」と答えられました。
先ほどの句のように、親の拝む姿によって、優しい心と素直な心をもった素晴らしいお子さまが育たれていました。とても美しい様子に出会わせていただくことができ、心からの感動を覚えたのです。

このご家庭では、阿弥陀さまを日々拝み、素晴らしいお念仏信仰の生活が実践されています。だからこそ、明るく、正しく、仲のよい、安らぎのある幸せな生活をいただけるのだと思うのです。