人情のあかりを、あったかい心で灯す場所。

浄土宗 天龍山 法善寺

参拝時間

境内のご参拝
24時間可能

水掛不動尊・金毘羅天王・お初大神・二河白道堂へのお参りは24時間いつでも可能です

授与所の受付
午前8時〜午後11時

ご朱印・お守り・お数珠・絵馬・おみくじ等をお求めの方は上記のお時間にお願いします

交通アクセス

浄土宗 天龍山 法善寺

「なんば駅」下車なんばウォークB16出口から北へ徒歩1分

「日本橋駅」下車なんばウォークB18出口から北へ徒歩1分

お知らせ

人情法話

法善寺第30世 眞晃和尚の人情法話

2019.04.01
お墓に帰る

人と文化が行き交う、なにわの人情交差点。ここは、大阪ミナミの法善寺。

大阪ミナミの繁華街から一歩路地に足を踏み入れると、古き良き浪花情緒あふれる一角にたどり着きます。
辺りにただよう線香の香り、風情たっぷりの石畳、提灯のほのかな灯り・・・。
そして、苔むしたお不動さんに水を掛け、祈りをささげる人々。
千日前の法善寺は、昔も今も、人と文化が行き交う憩いの場所です。

互いを思いやり、助け合い、支え合う。そんな、あったかい心をおすそ分け。

法善寺が空襲や横丁火災の困難を乗りこえられたのは、この街と共に生きる人情と信仰の「おかげ」でした。
私たちがお不動さんに「まいどおおきに」「おかげさんで」とお参りすれば、お不動さんは「こちらこそおおきに」と、救いの手をさしのべてくださいます。
こんな風に互いを思いやり、助け合い、支え合える“あったかい心”を、たくさんの方におすそ分けしたいと願っています。

由緒沿革

法善寺の歴史

かつて京都宇治にあった浄土宗天龍山法善寺は、寛永14年(1637)、
ときの住職である中誉専念法師が「金毘羅天王墾伝」の故事に基づき、
現在の大阪難波の地に移転しました。
念仏聖の専念法師は、人々の供養のために千日間にもおよぶ念仏回向を勤めるなど、
民衆に寄り添う日暮らしを送られました。
大阪ミナミの法善寺一帯の地域が「千日前」と呼ばれるようになったのは、
この専念法師が行った「千日念仏回向」に由来します。

三号
天龍山
寺号
法善寺
通称
千日寺・水掛不動
宗旨
浄土宗(総本山知恩院)
開創
寛永14年(1637)
開山
専念法師
本尊
阿弥陀如来・西向不動明王・金毘羅天王・お初大神
札所
大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 第48番
住職
第30世 亮誉 眞晃

京都宇治から大阪難波へ移転

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水掛不動尊の愛称で親しまれている「浄土宗天龍山法善寺」のはじまりは、1620年代後半〜1630年代前半にさかのぼります
琴雲法師が建立した法善寺は当時、山城国宇治郡北山村(現在の京都府宇治市)にありましたが、後を継いだ大和国(現在の奈良県)出身の中誉専念法師が「金毘羅天王墾伝」の故事に基づいて現在地への移転を決意したのです
大阪難波に法善寺が完成したのは、寛永14年(1637)のことでした
琴雲法師が貞享3年(1686)に77歳で亡くなったとの記録から推察すると、宇治郡北山村に所在していた期間はほんのわずかだったと考えられます。

「千日前」の由来となった千日念仏回向

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法善寺一帯の地域が「千日前」と呼ばれるようになったのは、専念法師が行った「千日念仏回向」に由来します
江戸時代の難波近郊は、死者の焼き場、墓地、刑場などが集まる葬送の地でした。専念法師は、刑に処された人や埋葬された人々を供養するため、千日間にも及ぶ念仏回向を勤めました。
明治時代に入ってから墓地は阿倍野へ移り、刑場は廃止されましたが、民衆に寄り添い続けた専念法師の功績は「千日前」の地名として残り、今日まで受け継がれています

度重なる火災・戦災からの復興

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法善寺は開創以来、火災や戦災を何度も経験しています。
文政2年(1828)の類焼後には、澄誉上人が伽藍を再建。嘉永5年(1852)に焼失した境内の復興には、見誉上人が3年の歳月を費やしました。
また、第二次世界大戦中の昭和20年(1945)3月13日には、第一次大阪空襲によって六堂伽藍のすべてが焼失しましたが、焼け野原の中に水掛不動尊のみが残っていました

生玉寺町の長圓寺を法善寺別院に

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終戦から15年の間に「金毘羅堂」と「庫裏」を再建した法善寺でしたが、本格的な「本堂」の建て替えまでには至りませんでした。
そこで当時の住職は、縁を結んでいた同じ浄土宗寺院の長圓寺(天王寺区生玉寺町)に、本尊の阿弥陀如来像を移すことを決めます。以来、長圓寺は「法善寺別院」となりました
法善寺の戦後復興は道半ばですが、平成21年(2009)年9月には本格本堂の再建計画に先がけて、水掛不動尊南側に「二河白道堂」が完成、25年(2013)10月には「金毘羅堂」「お初大神」の修復が完了しました。

境内案内

法善寺の諸堂・諸仏

千日前法善寺の境内では、“水掛不動尊”の名で親しまれている
「西向不動明王」をはじめ、「金毘羅堂」「お初大神」などの
諸堂・諸仏を、いつでもお参りしていただけます。
たくさんの人から願掛けの水を掛けられ、緑あざやかな苔に包まれたお不動さんは、
すべての人に分け隔てなくご利益を与えてくださいます。
拝む姿が人から人へ、心から心へと伝わっていくよう、心を込めて手を合わせましょう。
にぎやかなミナミの街にひっそりと佇む法善寺と法善寺横丁は、浪花の情緒ただよう散策スポットです。

水掛不動尊(西向不動明王)

どんな願いも叶えてくれる、
苔むす姿のお不動さん

法善寺のお不動さんには、どうして水を掛けるの?

「水掛不動尊」「水掛け不動さん」と呼ばれる法善寺の西向不動明王は、あざやかな緑の苔に包まれた珍しい姿をされています
400年近い歴史をもつ法善寺ですが、実は“水掛け”の歴史は浅く、戦後すぐに始まったものでした。
ある日、法善寺へお参りにやってきた一人の女性が、お供えされていた目の前の水を手ですくい、お不動さんに掛けたのです。「願いを叶えて欲しい」と仏さまにすがる女性の強い思いが、今日まで続く“水掛け”の作法の発祥となりました
水掛不動尊を包む苔は、願いの数だけ広がり、願いの分だけ育まれてきました。すべての命の源である「水」を、全身で受けとめてくださるお不動さんは、いつも私たちの祈る姿を見つめておられます

病気平癒・商売繁盛・縁結び・・・水を掛け、願を掛けて

大阪の戦後復興の歴史を見つめてきた水掛不動尊は、すべての願いごとを手助けし、後押しし、正しい方向へと導いてくださいます。
あなたが「病気平癒」を願うのなら、身体の悪い部分に願掛けの水をおかけください。
“水”を掛けるお不動さんだからこそ、水商売の繁盛にご利益があるとも言われます。
素敵な出会いを求める人は、両脇の矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制吒迦童子(せいたかどうじ)を男女にみたて、やさしく水をおかけけださい。
すべての人に分け隔てなく与えられるお不動さんのご利益は、広大無辺。どんな願いごとも円満に成就するご利益をいただけるのです

炎を背にした不動明王は、大日如来の化身

法善寺の西向不動明王は、梅田の太融寺、高津の清水寺と並ぶ「大阪三大不動」のひとつとして、篤い信仰を集めてきました。
不動明王は、密教における大日如来の化身であり、その教えを広める姿を表した仏さまです。燃え盛る炎を背にし、右手で剣を握り、左手には縄を持ち、憤怒の表情で目を見開く姿で、私たち衆生の悪い心(貪・瞋・痴)や災いを焼き尽くし、切り裂いていただけるのです

金毘羅堂

古くから信仰を集める海上交通の守り神

その昔、難波は港町だった

どうして大阪の街なかに金毘羅さんが祀られているの?
この疑問の答えは簡単。その昔、難波が港町だったからです。
海がすぐそばにあった時代、難波は文字通り、海が荒れることで有名でした
当時の人々は、海上交通の守り神である金毘羅天王を祀り、航海の安全や大漁を祈願したのです
現在も、交通安全や商売繁盛の神さまとして大切に守られており、毎年10月には地域をあげたお祭が盛大に営まれています。

二河白道堂

極楽浄土へと伸びる一筋の道を再現

新たな祈りのスポット

水掛不動尊の南側に隣接する「二河白道堂(にがびゃくどうどう)」は、法善寺の新たな祈りのスポットです
法然上人が開いた浄土宗のお念仏を称える私たちは、この世(此岸)での命を終えた後、阿弥陀さまやご先祖さまの住む極楽浄土(彼岸)へと向かいます。
「二河白道」は、私たちがこの世からあの世へ往生する様子を喩えたお話です
二河白道堂は、中国の高僧である善導大師が1300年も昔に説いた二河白道の世界観を立体的に表現しています。

釈迦は「行け」、弥陀は「来い」

二河白道堂を通り抜けた先に立つ「南無阿弥陀仏」の石柱が、私たちの目指す極楽浄土です
ここへ向かう唯一の方法は、お堂の真ん中を貫く一筋の白道しかありません。なぜなら、左は燃え盛る「火の河」、右は急流が押し寄せる「水の河」だからです。
煩悩の多い私たち人間は、危険がすぐそばに迫る細い道を前にして、進むことを悩んだり、躊躇したり、恐れたりします。
そんな時、「安心して行きなさい」と後押ししてくれるのがお釈迦さま。そして、「信じて来なさい」と声をかけてくれるのが阿弥陀さまです
お堂の左右には、声の主であるお釈迦さまと阿弥陀さまの石製レリーフが刻まれています。

お初大神(岡山最上稲荷)

商売繁盛・五穀豊穣の神様を祀る小さな社

とっても身近な“お稲荷さん”

日本三大稲荷の一つと称される岡山最上稲荷大明神をお祀りする小さな社が、境内北側の東にあります。
“お稲荷さん”の信仰は、1200年もの長きにわたって人々の生活と結びついてきた身近なものです
法善寺界隈では「お初大神」の呼び名で親しまれており、商売繁盛・五穀豊穣のご利益を求める参拝者がつめかけます

慈悲地蔵尊

横丁火災からの復興を記念して造立

二度の火災を乗り越えて

平成14年(2002)9月と翌15年(2003)4月に発生した法善寺横丁の火災は、お寺周辺の店舗に大きな被害を与えました
この時、古き良き大阪の風情を取り戻そうと立ち上がったのは、千日前の地域を愛する府民・文化人・芸人など数多くの人々でした。
法善寺横丁復興のために集まった署名の数は、なんと30万人以上。かつての狭い路地は建築基準法の規制によって拡張が必要でしたが、「このままの風情を守りたい」と願うたくさんの人の思いが届き、以前と変わらない景観と活気がよみがえったのです。

感謝の思いを込めた“お地蔵さん”

最初の火災から2年後の2平成16年(2004)9月9日、法善寺北側の路地の一角に「慈悲地蔵尊」が建立されました
法善寺横丁の復興に際して寄せられた“慈悲”に対する感謝の思いがつまった「お地蔵さま」は、法善寺や横丁に関わるすべての人の興隆と安全を願い、いつもやさしいまなざしを向けられています
※制作:石彫家 奥村 美嗣氏

縁日
年中行事

法善寺のご縁日・年中行事

毎月28日は
お不動さんのご縁日

水掛不動明王護摩法要
19:00〜21:30
護摩供養料 500円・300円

開運厄除・家内安全・商売繁盛・病気平癒・交通安全・縁結び・・・
今を生きる人の数だけ、たくさんの願いがあります。
思いを込めて手を合わせ、「たのんまっせ お不動さん」

主な年中行事

正月初護摩・獅子舞奉納

1月2日、3日
12:30〜13:00 獅子舞奉納
14:00〜19:00 護摩法要を登りながら

節分会

2月3日
9:00〜20:00 護摩法要
16:00〜17:00 福豆まき・福樽酒鏡開き

花祭り(釈尊降誕会)

4月第1土曜または日曜
14:00〜 甘茶かけ・お菓子のおすそ分け

法善寺祭り

8月10日、11日
14:00〜 オープニング行事
16:00〜 法要

地蔵盆

8月23日、24日
15:00〜 法要

金毘羅大祭

10月9日、10日
17:00〜18:00 法要(予定)
18:30〜19:30 関連行事

法善寺横丁

情緒ただよう
浪花のシンボル

法善寺の北側にある2本の細い路地は、「法善寺横丁」と呼ばれ、
江戸時代からの活気が息づくミナミの観光スポットです。
長さ80m、道幅3mに満たない石畳の路地には、老舗の割烹や洒落たバーをはじめ、
串カツ、お好み焼き、お寿司など、大阪ならではのグルメを楽しめる約60軒のお店が並んでいます。
水掛不動尊にお参りした後は、古き良き浪花の風情が味わえる「法善寺横丁」へ。

法善寺の境内露店が
横丁のルーツ

法善寺横丁の歴史は古く、江戸時代の中頃にさかのぼります。もともとは、法善寺の境内で参拝客相手に商いを行っていた露店が横丁のルーツ。明治から昭和初期にかけては、「紅梅亭」や「金沢亭」などの寄席で上方落語を楽しむ人々で賑わいました。
また、昭和15(1940)年までは、浄土宗寺院の門前に相応しい「極楽小路」の名で親しまれていました。

小説、歌謡曲の舞台に
なった法善寺横丁

法善寺横丁が一躍有名になったのは、「織田作」の愛称で人気を博した織田作之助の小説『夫婦善哉』のヒットでした。作中に登場する甘味処「夫婦善哉」は水掛不動尊の隣で、割烹「正弁丹吾亭」は横丁西門すぐの一角で、今も営業を続けています。
また、昭和35年(1960)に地元出身の演歌歌手・藤島桓夫が『月の法善寺横町』を発売し、その名は全国に広がりました。

上方演芸界の大御所2人が
筆をとった横丁の看板

狭い路地が続く法善寺横丁の入り口には、小さな2つの門が建っています。
昭和の上方演芸界を代表する2人が門に架かる看板の文字を書いており、西が藤山寛美さん、東が3代目桂春団治さんによるものです。
平成14年(2002)、翌15年(2003)に起こった二度の横丁火災では、この街を愛する文化人・芸人・府民の方々が「復興してや!みんなの横丁を!」と声を上げ、かつての風情を残したままの復興が実現しました。

参拝時間

境内のご参拝
24時間可能

水掛不動尊・金毘羅天王・お初大神・二河白道堂へのお参りは24時間いつでも可能です

授与所の受付
午前8時〜午後11時

ご朱印・お守り・お数珠・絵馬・おみくじ等をお求めの方は上記のお時間にお願いします

交通アクセス

浄土宗 天龍山 法善寺

「なんば駅」下車なんばウォークB16出口から北へ徒歩1分

「日本橋駅」下車なんばウォークB18出口から北へ徒歩1分